キレイゴトサッカー 泥だらけの最後 それでも…

正直、こうなることは、4年前から、心のどこかでわかっていたんだ。

1分け2敗。勝ち点1。得点2、失点6。グループC4位の、最下位。2014年サッカー・ワールドカップ・ブラジル大会で我らが日本代表チームが残したすべての記録である。初戦の一瞬の逆転劇も、もどかしいばかりの第2戦も、すべてを粉砕された3戦目も、屈辱のキーパー交代や試合後に青を慰める黄色まで、まさかここまで…というほど何もかもが8年前のドイツ大会のデジャヴだったけど。

こうなることは、何となくわかっていたんだ。でも、たとえこうなったとしても、やらなければならないことがあることも、わかっていたんだ。

4年前の南アフリカ大会、結果的に決勝トーナメントに進出したけれども、あのサッカーで結果以外の何を得たというのだろう。いやまぁ、あの結果のおかげで出場しなかったけどコパ・アメリカに招待されたし、強豪国とマッチメイクしやすくなったこともたしかなのだけど。でも同時にあのサッカーを続けていて何かを得られたとしても、結果だけしか得られないこともわかったはずなんだ。結果だけではなく内容も伴ったサッカーをするために、次のステップを。日本代表は踏む必要があったはずなんだ。
そういった意味では、ザッケローニは一歩目として本当に適任だったと今でも思う。準備も想定も戦術的な融通も本当に激甘で不足もいいとこだったけど、初めての外国となる極東国の特異な文化も、大きく変化し始めた世界のサッカーも理解した上で、信念を持って日本代表に力を注いでくれた人。彼の功績がワールドカップで称えられれば良かったのだけど、彼が彼であった故、世界のサッカーの大きなうねりに飲まれたのかな、と思わずにはいられない。

ここ数年、特にザックが任されたこの4年間で、それほどまでに代表チームのサッカーは変化してしまった。クラブチームの比重も立場も、選手に課された試合数も負担も、これまでよりもさらに大きくなり、逆に代表チームは肩身が狭くなるばかりで、それゆえに各国の代表チームのサッカーはより効率的に、具体的に言うと、まずしっかり守って、攻撃は前線のタレントを生かす、彼らに任せるだけになってしまった。それは欧州各国リーグやチャンピオンズリーグが面白くなる反面、非常に嘆かわしい潮流だとは思うのだけども、また両立の難しさなど推して知るべしで、同時に、個のタレントで劣る日本人と日本代表にとっては、より厳しい風が吹いてきていたことも理解する必要がある。

その潮流の中で、戦術的なサッカーを試みていた日本を誇らしく思うかと言えば、それは違う。また、日本も効率的なサッカーをすればよかったかと言えば、それも違う。日本代表と日本サッカーが成長していくために、真に強国と肩を並べる存在となるために、その通り道として、結果を出さなくていいはずもないけど、たとえ傷付いたとしても、今ここで自分たちでイニシアチブを握っていくサッカーを試みる必要があった。それができるのにやらずに効率的なサッカーをやることを選んでいるのと、ただまず守備に比重を置いているのとでは、意味合いが全然違う。列強はあくまで前者であることを“選んで”いるのだから。

そういった意味で、この4年間の歩みは決して間違いではない。ましてや、後退でもない。むしろ、この道を続けていかなくてはならない。たとえまた4年後、涙を流すことなったとしても。
「自分たちのサッカー」なんてキレイゴトだと思う。個人的には大嫌いな言葉だ。でもキレイゴトを貫いて、貫き通したなら、それは証明となる。8年後もまた泥にまみれたとしても、それでも20年後、40年後にきっと笑えると信じて。2014年の日本代表がその第一歩目だったならいい。





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