三浦皇成を憂う

騎手への「加重制裁」は、 すべてに公平な裁決か?(Number Web)


この冬、三浦皇成が批判にさらされるたび、自分は小林可夢偉と佐藤琢磨を思い出していた。

可夢偉といえば、昨年、急遽ピンチヒッターとして迎えたF1デビュー戦のブラジルGPで、そのレースで年間チャンピオンを決めることとなるジェンソン・バトンを相手に一歩も引かず、ギリギリのテールトゥノーズのバトルを繰り広げたことで注目を集め、また続くアブダビGPで6位初入賞を果たしたことでその実力が認められ、今年からザウバーチームのエースとしてF1にフル参戦しているドライバーである。

琢磨は、もはや説明不要かもしれないが、攻撃的で、好戦的なドライビングスタイルが世界中で支持され、ファンに愛されてきた。そのスタイルが行き過ぎてアクシデントを起こしてしまうことが多々あるのが珠に傷だが、でもそのスタイルゆえに、数々の奇跡を起こし、我々に至上の感動と興奮をもたらしてくれてきた。

2人に共通して言えることは、非常にチャレンジングなドライバーであり、その姿勢が評価され、またそれゆえにライバルたちにとって脅威の存在であったということ。でも、思い出してみれば、これは2人に限ったことではなく、歴史に名を残してきてドライバーはみんなそうだったものだ。

アイルトン・セナしかり。ミハエル・シューマッハしかり。彼らも若い頃は突出した才能を見せ付けるものの、勝ちたい気持ちが勢い余って、アクシデントを引き起こしてしまうことが多々あった。そのため周囲からは「コイツは危険だ」「やりすぎだ」などと何かと叩かれていたものだ(ミハエルは歳をとってからもそうだが)。でも、その批判も発する人間にとって脅威になっていればこそ。彼らはその闘争心に技術が追いつき、その才能に相応しい場所に辿り着いたとき、伝説への道を歩み始めた。

だからこそ、1月のあの多重落馬事故の際に「三浦皇成はこれまでも攻めすぎた騎乗を何度か注意をされていた」といった話を聞いたとき、私は嬉しかった。

そのエピソードは皇成が相手が見せるちょっとした隙をも狙い、ギリギリのところで勝負していることの証明に他ならない。また多重落馬事故というビッグニュースも、いつかの彼の伝説のひとつとして語られる日が来るかもしれない。あのニュースを目にしたとき、そんなことを思ったものだ。

三浦皇成は、まだ20歳なのである。いくら才能があっても、いくら新記録を作っといっても、まだデビュー3年目に入ったばかり。ジョッキーとしてはまだまだ未熟で、もう何十年と馬に乗ってきているベテランに及ばないところの方が当然多い。脆弱な部分な姿を見せることもあるだろう。勝ちたい気持ちに自分が追いつかないことなんて、きっとたくさんある。それゆえに問題を引き起こしてしまうことだってあるだろう。でもそれは20歳の通るべき道にある、普通のことでしかない。

思えば、武豊もデビュー2年目、初騎乗の有馬記念で3着入線→失格というド派手なことをやらかしていたし、その年は制裁点過多で競馬学校に戻って講習を受けさせれていたものだ。でも、彼は揺るがなかった。問題は問題として認識しても、自分が間違っていないことを自分でよくわかっていたからだ。斜行して、妨害していいとは言わない。というか、そんなはずはない。だけど、結果としてそうなることはあっても、行かなければ勝てないのが競馬という“レース”なのだということを、きっと若き日の武豊はすでにわかっていたのだと思う。

最近の三浦皇成を見ていると、そんな“一番の基本”をすっかり忘れてしまっているような気がする。騎乗停止が明けてからというもの、いつかの傲慢さにも似た自信を彼の背中から見ていない。そもそも20歳らしい、溌溂としたところがない。今の縮こまった皇成では本当に埋もれてしまいそうで怖くてしょうがない。

ガンバレよ!皇成
批判なんかに負けんなよ!!

誰が何を言おうと俺はこれからも応援しているからさ。バンブーエールでユビキタスを差し切ったベテルギウスSのような、戦略的で攻撃的な三浦皇成の競馬をまた見せてな。
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